1980年にデビューしたアイドル一覧 松田聖子 河合奈保子 浜田朱里 三原順子

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モスクワオリンピックを日本がボイコットした年。

ポール・マッカートニーは成田空港でマリファナ所持で逮捕。

ジョンレノンはファンに射殺されて死去した。

山口百恵は三浦友和との結婚で10月15日のコンサートでマイクを置いて引退、ピンクレディは翌年3月を持って解散することを発表、そしてついにあの巨星がデビューする。

アイドル界にとって激動の年だった。

 

オリコン年間記録 シングル

1位 もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト!」

2位 久保田早紀「異邦人-シルクロードのテーマ-」

3位 クリスタルキング「大都会」

 

オリコン年間記録 アルバム

1位 松山千春「起承転結」

2位 YELLOW MAGIC ORCHESTRA「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」

3位 ABBA「グレイテスト・ヒッツ vol2」

 

レコード大賞

大賞:八代亜紀「雨の慕情」

新人賞:田原俊彦「ハッとしてGOOD」

 

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岩崎良美 赤と黒 1980年2月21日 デビュー

誕生日: 1961年6月15日

デビュー時の年齢: 18才8ヶ月

作詞: なかにし礼 作曲: 芳野藤丸

歌いだし:あー 赤と黒みたいな あー恋をしています

1975年にデビューの姉岩崎宏美の後を追うようにデビュー。

女優としての活動も盛んで、「スクールウォーズ」などに出演した。

1985年20枚目のシングル「タッチ」(同タイトルアニメ主題歌)が大ヒット、選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも採用された。

姉妹別々でソロ歌手として同時に紅白歌合戦、それぞれの曲が選抜高等学校野球大会の入場行進曲になるなど、姉妹ソロ歌手としての記録がある。

 

松田聖子 裸足の季節 1980年4月1日 デビュー

誕生日: 1962年3月10日

デビュー時の年齢: 18才0ヶ月

作詞: 三浦徳子 作曲: 小田裕一郎

歌いだし:白いヨットの影 渚を滑り 入江に近づくの

松田聖子 裸足の季節

言わずもがなの1980年代を代表するアイドル。

徹底した可愛らしい仕草は「ぶりっ子」とも言われた。

歌唱力がずば抜けている上、声質がよいとされ、透明感、強さ、娯楽性、知性が含まれているとされた。

過剰な「ぶりっ子」ぶりが漫才などのネタになることもあったが、その場の空気を読んで、求められているものを提供した結果であり、素晴らしいプロ意識という意見もある。

髪型は聖子ちゃんカットと言われ、当時の若い女性が真似をした。

その後、神田正輝との結婚や娘SAYAKAとのデュエットなど話題に事欠かないアイドル界のスーパースターである。

 

 

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柏原よしえ(柏原芳恵) No.1 1980年6月1日 デビュー

誕生日: 1965年10月1日

デビュー時の年齢: 14才8ヶ月

作詞: 阿久悠 作曲: 都倉俊一

歌いだし:男の瞳は指先のように

柏原芳恵 No.1

日本テレビのオーディション番組「スター誕生!」決勝戦でグラウンドチャンピオンになりデビュー。

7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」、14枚目のシングル「春なのに」がヒット、紅白歌合戦にも2回出場している。

グラマラスなボディでグラビアとしても人気で活躍した。

1980年代後半になると2時間ドラマの女優として数多く出演した。

 

河合奈保子 大きな森の小さなお家 1980年6月1日 デビュー

誕生日: 1963年7月24日

デビュー時の年齢: 16才10ヶ月

作詞: 三浦徳子 作曲: 馬飼野康二

歌いだし:誰も見たこと ナーイナイナーイナイ 誰もさわって ナーイナイナーイナイ

河合奈保子 大きな森の小さなお家

1979年に開催された「HIDEKI(西城秀樹)の弟・妹オーディション」に応募、出場したことがきっかけとなりデビュー。

キャッチフレーズは「ほほえみさわやかカナリーガール」。

グラマラスなボディの水着姿が大人気で、昭和アイドルのグラビアクィーンである。

「ヤングボーイ」「スマイル・フォー・ミー」「けんかをやめて」など今でも歌いつがれるヒット曲を生み出し、紅白歌合戦にも6回出場、1980年代後半になると河合奈保子自身で作曲もするようになった。

 

甲斐智枝美 スタア 1980年6月21日 デビュー

誕生日: 1963年6月16日

デビュー時の年齢: 17才0ヶ月

作詞: 伊藤薫 作曲: 安部恭弘

歌いだし:あなたはスタア あざやかにそして大空を

甲斐智枝美 スタア

1979年、「スター誕生!」でグラウンドチャンピオンとなり、デビュー。

同じホリプロの山口百恵の後釜として期待されたが、歌手としては人気が出ず、女優としてドラマに多数出演、脇役が多かった。

1982年にはヌード写真集も発売している。

2006年死去、自殺だった。

 

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浜田朱里 さよなら好き 1980年6月21日 デビュー

誕生日: 1962年11月1日

デビュー時の年齢: 17才7ヶ月

作詞: 浅野裕子 作曲: 平尾昌晃

歌いだし:恋はドンファン 昨日は青い 明日は赤い

浜田朱里 さよなら好き

ポスト山口百恵候補として期待されたが、同年にデビューした強豪アイドルの陰に隠れてしまい、歌手として結果を出すことはできなかった。

しかし、どこか色気を含んだビジュアルは人気で、女優としてグラビアアイドルとして活躍した。

 

田原俊彦 哀愁でいと 1980年6月21日

デビュー 誕生日: 1961年2月28日

デビュー時の年齢: 19才3ヶ月

作詞: 小林和子 作曲: “Andrew Joseph DiTaranto Guy Hemric”

歌いだし:赤い薔薇投げ捨て それで終わりにしようね

田原俊彦 哀愁でいと

1979年にはじまったドラマ「3年B組金八先生」の生徒役として人気となり、一緒に出演していた近藤真彦、野村義男とともにたのきんトリオを結成して一大ブームを起こした。

たのきんトリオの中では一番最初のデビューとなり、手足を大きく動かすダンスで当時の女性を魅了、男性トップアイドルとなった。

デビュー曲以降、ヒット曲を連発。

1980年代後半になると「教師びんびん物語」などの主役など、ドラマでも活躍した。

1994年にジャニーズ事務所から独立。

カッコいいとしちゃんから、なんだかおかしなとしちゃんになってしまった。

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近藤真彦 スニーカーぶる〜す 1980年12月12日 デビュー

誕生日: 1964年7月19日

デビュー時の年齢: 16才4ヶ月

作詞: 松本隆 作曲: 筒美京平

歌いだし:ペアでそろえたスニーカー 春夏秋と駆け抜け

近藤真彦 スニーカーぶる〜す

田原俊彦と同じく「3年B組金八先生」の生徒役で人気となり、たのきんトリオを結成した。

ヒット曲を連発し、日本レコード大賞も受賞している。

田原俊彦とは違い、今でもジャニーズ事務所の大看板として在籍。

レーサーとしても記録を沢山残している。

 

三原順子(三原じゅん子) セクシー・ナイト 1980年12月21日 デビュー

誕生日: 1964年9月13日

デビュー時の年齢: 16才3ヶ月

作詞: 亜蘭知子 作曲: 長戸大幸

歌いだし:ガラスのフロアに響く しゃれたROCKのリズムも

三原じゅん子 セクシー・ナイト

田原俊彦、近藤真彦と同じく「3年B組金八先生」の不良役で人気となり、デビュー。

それ以前にも学園ドラマの出演もしていた。

紅白歌合戦にも出場している。

カーレーサーとして活動。

今は参議院議員であるが、かつてはヌード写真集を発売したこともある。

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